私は今年の春頃からインド人のヨガの先生のもとでインド哲学を学んでいます。
その先生は4時間ほぼ休みなしでしゃべくり倒すという、物凄い集中力の持ち主で毎回ついていくのが大変です(汗)
さて、まだまだ全部を理解するには奥深い哲学ですが、講義が始まったばかりの頃の先生の
「私たちは石の集まりの一つなのか?それとも木についてる葉っぱなのか?」
という話が印象的で、日頃の生活の中でその話をよく思い出します。
先生曰く、
「小石が集まっていても水に流されればみんなバラバラ。バラバラになったところで石は石の意識で生きる。
葉っぱは風に飛ばされ木から落ちても、木の意識で生きている」
「私たちは後者の意識で生きるということを思い出した方が良いよ」
と言われました。
つまり、大元は皆んな同じ一つから生まれた存在なのだよ。ということを思い出すのです。
コップの中の水も海に注げば海になる。
利根川の水も、アマゾン川の水も最後は海に戻る。
汚い水も綺麗な水も海に戻る。
哲学は変わらない真実のことであり全ての源のことです。
その真実に気づき、受け入れることで人生が楽になる、と先生は言います。
へぇ〜一本の木か〜。大きな海か〜。
なんとなくその大元を感じて生活していると、周囲の人に対して、慈愛とも言える気持ちが生まれる感覚になります。
(テレビのニュースに出てくるヘンチクリンな犯罪者とかにはなかなかその気持ちにはなれませんが)
不思議です。
コロナ禍の今、世界の端っこで私達は医療関係の方々や感染された方々のことを思いつつ、私たちのやるべき事(感染予防の消毒、免疫力を下げない、など)を淡々と続けることが役目の一つと思って続けます。
地球上の全員がどこかで繋がっていて、一人一人の意識がこの地球の行先を決めていくのですからね。
さぁ、今夜もお風呂で体を温めて、白湯を飲んでから眠ろう。
皆様おやすみなさい。
Have a sweet dream❤️
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